— 静と動の美 [弐] —

写真 「遊行柳」 シテ:高林白牛口二(喜多流) 
撮影:今駒清則

能楽写真家協会では会員による能楽写真展を開催しています。
能楽のプロカメラマンが撮影した能楽写真を、記録として、また芸術の領域まで高めうるか、能楽写真家協会としての試みであり、さらにこの催しが能楽の普及、啓蒙に役立てばとの願いから、全国の能楽カメラマンが撮ったそれぞれの作品を出品します。

今回から「想い出の名舞台」として長年の舞台撮影から選りすぐった作品も併せて展示します。

東京展

会期 2012年2月16日(木)〜2月22日(水)

開館時間 10:00〜18:00  (最終日は14:00閉館)

会場 ポートレートギャラリー  入場無料

〒160-0004 東京都新宿区四谷1丁目7番地
日本写真会館 5階
TEL:03-3351-3002
URL http://www.sha-bunkyo.or.jp/

JR四ツ谷駅 徒歩3分

出品者

関東 石田 裕・太田宏昭・亀田邦平・神田佳明・鈴木 薫

   高橋 健・辻井清一郎・東條睦子・前島吉裕・松本直巳

   名鏡勝朗・山口宏子・吉越 研・渡辺国茂

中部 杉浦賢次

関西 池上嘉治・牛窓雅之・久保博義・今駒清則・瀬野雅樹

   瀬野匡史・渡辺真也

出品作品
想い出の名舞台
東京展
出品作品

池上 嘉治

田村 長床几」 植田 恭三(金剛流) 2010年4月4日 桜祭能 いかるがホール

 


誓願寺」 金春 康之(金春流) 

2011年3月27日 第17回金春康之演能会 奈良県新公会堂ホール 

 

石田  裕

一角仙人」 粟谷 明生(喜多流) 2011年3月6日 粟谷能の会 国立能楽堂

「この酒飲むべきか」 酒と女の恐ろしさ仙人も神通力を失うとは。


天鼓」 粟谷 明生(喜多流) 2011年10月9日 粟谷能の会 国立能楽堂

追善供養の管絃講に感謝して現れた、天鼓、鼓を打ち舞に興じる。

 

牛窓 雅之

井筒 物着」 片山 幽雪(観世流) 1996年 京都観世会館

能舞台正先(前面の中央部)は光量が少ないので面・装束の色調に注意します。[ 参考:キャノンA-1 FD200ミリF2.8 1/10秒 フジ400使用 ]


関寺小町 浦田 保利(観世流)  1998年 古希記念能 京都観世会館

秘曲を撮影する機会に恵まれ、初体験に緊張しましたが、おシテに撮らせて頂いた感があります。 [ 参考:キャノンA-1 FD300ミリ F2.8 1/15秒 フジ400使用 ]

 

太田 宏昭

吉野静」 佐々木 宗生(喜多流)

2005年8月14日 中尊寺薪能 中尊寺白山神社能舞台 

吉野山を落ち延びる源義経を、舞を見せて追っ手を引き留め、無事落ち延びさせることができた静御前。
時空を超えて能の舞台は中尊寺白山神社。この趣のある舞台を生かすため、視点を引いて表現した。
 

亀田 邦平

「張良」 シテ 黄石公 高橋 章 ツレ 龍神 朝倉俊樹 ワキ 張良 殿田謙吉(宝生流)

2010年9月16日 秋の別会能 宝生能楽堂 

漢の黄石公(シテ)が張良(ワキ)に兵法を伝える物語。 シテが落とした沓を持ち去ろうとする、龍神(ツレ)とワキとの戦いが見物。ワキの超大曲です。シテはほとんど動かずワキとツレが活躍する。写真は張良が剣を抜き龍神と戦う場面。


船弁慶」 大坪喜美雄(宝生流) 2011年10月19日 宝生能楽堂

都落ちする源義経主従の船に、平知盛(とももり)をはじめ壇ノ浦で滅ぼされた平家一門の怨霊が出現する。
知盛は義経主従を荒れる海に引き込もうとするが、弁慶が祈り伏せ怨霊は波間に遠ざかってゆく。

 

神田 佳明

花筐」 出雲 康雅(喜多流) 

恋慕の舞、扇に託す


殺生石」 出雲 康雅(喜多流) 

妖狐の執心、殺生石に

 

久保 博義

」 金春 安明(金春流) 2010年6月27日 奈良金春会 奈良県新公会堂能楽ホール

源氏の武将、梶原景季、通称源太は生田の森の合戦では箙に梅の枝を差して戦った。
旅の僧の夢に景季の霊が現れ、箙に梅の枝を差して戦いの中に風雅に心を寄せる武将の様をみせる。
(「箙」は矢を入れる武具)


鵜飼」 金春 康之(金春流)

2011年6月19日 奈良金春会 奈良県新公会堂能楽ホール 

殺生禁断の場所で鵜を使い漁をして地獄に落ちた老人を、僧が川の小石に法華経の文字を記し弔う。僧の前に地獄の鬼が現れ、経文の功徳により成仏したと告げる。

 

今駒 清則

遊行柳」 高林 白牛口二(喜多流) 2011年4月9日  涌泉能 大江能楽堂

奥州を遊行する上人に念仏を授かった感謝から柳の古木の精が優雅な舞を舞います。


」 高林 白牛口二(喜多流) 2010年11月13日 涌泉能 大江能楽堂

夫の帰りを待つ妻は帰らぬ夫に絶望し亡くなります。やがて帰国した夫の前で妻の亡霊は夫を責め、地獄で苦しんでいる様を見せますが法華経読誦の功徳で成仏します。


藤戸」 高林 呻二(喜多流) 2010年4月10日 涌泉能 大江能楽堂

藤戸の戦で殺された若い漁師の亡霊が現われ、殺された様や水中を漂い水底に沈み、龍神となって恨みを晴らそうとしますが、大般若経の弔いを受けて極楽浄土へ成仏します。

 

杉浦 賢次

蝉丸」 梅田 邦久(観世流) 2009年11月8日 名古屋観世会 名古屋能楽堂

シテ逆髪の宮は、髪が逆立つ病の上に心も乱れ、「柳の髪をも風は梳るに、風にも梳かれず、手にも分けられず」とさまよい歩く狂乱の態。


靫猿」 アド 猿曳 井上 靖浩  アド 小猿 井上 蒼大(和泉流)

2010年9月5日 名古屋能楽堂9月公演(初秋能) 名古屋能楽堂 

「猿にはじまり狐におわる」と言われ、狂言の家に生まれた子が、幼年時に経験する役処の無邪気に踊る小猿。それを見守る親(猿曳)の心は?

 

鈴木  薫

定家」 野村 四郎(観世流) 2010年9月18日 横浜能楽堂特別公演 横浜能楽堂

 


弱法師 盲目之舞」 野村 四郎(観世流) 2011年5月28日 東京観世会 観世能楽堂

 

瀬野 匡史

杜若」 辰巳 満次郎(宝生流)  七宝会別会  2011年7月18日 大阪能楽会館

シテは杜若の精 伊勢物語、在原業平が訪れた三河の国八橋が舞台。


釣狐」 善竹 忠一郎(大蔵流)  善竹会  2010年10月2日 大阪能楽会館

白蔵主に化けた老狐は、狐狩りをやめさせようと伯父である白蔵主に化け、猟師を説得し納得させ老狐は喜んで帰ります。

 

瀬野 雅樹

小鍛冶 白頭」 玉井 博古(宝生流) 2012年1月22日 名古屋宝生会 名古屋能楽堂

三条の小鍛冶宗近の相槌を打つために稲荷明神のご神体が狐の精霊の姿で現れます。小書白頭になると半幕となります。


橋弁慶」 上田 拓司 子方 山口 孝明(観世流) 

2011年9月21日 西宮薪能 越木岩神社境内 

弁慶と牛若丸の五条の大橋での物語です。普通は弁慶が千人切りをして牛若丸が懲らしめますが、能では牛若丸が千人切りをして弁慶が返り討ちにあう。(能舞台)柱は軽量鉄骨、屋根はスレート葺き昭和五十年代に作られたユニークな能舞台です。

 

高橋  健

野宮」 小早川 修(観世流) 2006年10月26日  代々木果迢会 代々木能舞台

光君を想う甘美な世界を野宮の社に求め、恋慕と嫉妬は幽かな灯火のように揺らめき続ける。


杜若」 観世 銕之丞(観世流) 2010年4月22日 代々木果迢会 代々木能舞台

業平と高子后の恋物語を鮮やかな杜若の精が舞う。幾重にも重なり合う歌物語の世界。

 

辻井 清一郎

昭君」 山井 綱雄(金春流)

2011年7月18日 座・SQUARE 第14回公演 国立能楽堂 

能「昭君」は金春権守の作とも言われている金春流ゆかりの古作です。
昭君の夫であった胡国の王、韓邪将の霊(後シテ)が鏡に映る恐ろしい自分の姿に恥じて鏡台を打ち倒す場面です。金春流では鏡台を倒さない演出で演じられる場合の方が多いようです。


墨塗」 シテ 大名 宮本 昇 アド 太郎冠者 星 廣介 アド 女 善竹 富太郎(大蔵流)

2010年11月12日 第9回吉左右会  セルリアンタワー能楽堂 

狂言は能とは異なり面を付けずに演じられる場合の方が多いので、演者の表情やキャラクターなどを直に観ることができ、舞台上で演じられる生き生きとした笑いの世界を楽しむことができます。

 

東條 睦子

伯母捨」 友枝 昭世(喜多流)1 2004年4月6日 横浜能楽堂特別公演 横浜能楽堂

伯母捨」 友枝 昭世(喜多流)2 2004年4月6日 横浜能楽堂特別公演 横浜能楽堂

八月十五日、信州更科に月見に訪れた旅人の前に、昔山に捨てられた老女が現れ、月明かりの下で舞う。

「我が心慰めかねつ更科や、姨捨山に照る月を見て」前編を流れてるメロディは古今集のよみ人しらずの歌。

暁方になると旅人は去り、老女はまた一人山に残され、その後桂の木になったとも、石になったとあるいは姨捨山になったとも伝説は伝えている。

 

前島 吉裕

蝋燭能葵上 梓之出・空之祈」 観世 清和(観世流 第二十六代宗家) 

2011年8月7日  観世会定期能 観世能楽堂 

源氏物語を題材とし、女性の嫉妬の執心が 鬼となって抗争する力強さが主題となっている。
後シテでは般若の面をつけた生霊が修験者
(ワキ)と鬼気迫る戦いをする。
写真は前シテ。蝋燭の炎に浮かび上がる姿は なお一層妖気をただよわせる。

 

松本 直巳

ビデオ作品

道明寺」 金剛 永謹(金剛流)

山姥」  大江 信之(観世流)

松浦佐用姫」 河村 晴通(観世流)

望月」  金剛 永謹(金剛流)

恋重荷」 林 喜右衛門(観世流)

道成寺」 豊嶋 晃嗣(金剛流)

 

名鏡 勝朗

隅田川」 武田 孝史(宝生流) 2011年7月24日 宝生会春の別会能 宝生能楽堂

人買いに連れ去られた我が子を探し求めて都より武蔵国・隅田川の畔に辿り着いた母親は、渡し船の船中で病に倒れた我が子の死を知らされる。
哀れんだ船頭の案内で葬られた梅若塚を訪れて念仏を唱えると我が子の亡霊が現れ、喜びに姿を捉えようとするが塚の中へと消え失せる。
塚に取りすがる母。


姨捨」 高橋 章(宝生流) 2011年9月25日 宝生会秋の別会能 宝生能楽堂

中秋の名月を眺めんと信濃の国姨捨山を訪れた都の男の前に、澄み渡る満月に照らされて白髪の老女が忽然と姿を現す。
老女は、夜もすがら昔を懐かしみつつ身の上を語り、月を讃えて舞を舞う。やがて夜明けを迎えると、旅人は山を下り、老女は昔のように一人寂しく取り残される。

 

山口 宏子

安宅 延年瀧流 貝立」 金剛 永謹(金剛流)

2009年11月7日 金剛永謹能の会 第25回記念東京公演  国立能楽堂 

「機知と勇気」 「安宅」は、弁慶が主人公の能であり、かつ、大勢の人物が登場する集団の能でもあります。そこには、色々なドラマがあります。義経の存在が、あわや発覚という場面で、力ずくでも関を突破しようと意気込む人々と、それを制する弁慶。弁慶以下猛烈に競り合う場面となり気迫に負けた富樫が関を通すことになりました。[ 三枚組写真 ]

 

吉越  研

鎌腹」 善竹 富十郎(大蔵流) 2011年2月26日 青山能 銕仙会能楽研修所

妻と言い争いの後、死のうとする太郎冠者なのだが、臆病なため身体が逃げてしまう可笑しさ。



船弁慶 後之出留之伝」 大坪 喜美雄(宝生流)

2011年10月8日 鎌倉薪能 鎌倉宮境内 

平知盛の亡霊と判官義経の攻防描く傑作だが、前シテの静御前の舞に比べ、後シテの知盛の長刀を使った動きは能の中でも突出したダイナミックさを持つ。 手前の後ろ向きが義経だ。

 

渡辺 国茂

黒川能猩々」 釼持 博行 

2011年2月1日 黒川能上座 当屋舞台(鶴岡市黒川上区公民館) 

山形県鶴岡市黒川の春日神社王祇祭は2月1日夕刻から大地踏・式三番・能五番・狂言四番が明け方まで演じられる。 「猩々」は祝言能として当屋の最後の能として、ベテランの役者により演じられる。役者衆は神社で使う装束・面をまとめて2日の春日神社での演能にそなえる。この時刻、来年の受当屋では朝振る舞いという祝宴が始まる。


黒川能道成寺」 釼持 喜美雄 

2011年2月1日 黒川能上座 当屋舞台(鶴岡市黒川上区公民館)  

黒川能は春日神社の氏子により上座と下座の二つの能座があり、座の持ち番組が決まっている。
「道成寺」は上座の番組、下座にはこの道成寺の元になっていると言われる「鐘巻」がある。五流に比べて鐘が小さいので、役者は細心の注意をはらい白拍子から鬼女に変身する。

 

渡辺 真也

金の星写真場

殺生石 白頭」 味方 玄(観世流) 2001年2月11日 (創造空間2001)

「新世紀・新しい出会いと創造」と銘打たれホールで照明なども工夫して催されました。
白頭・女体の演出でしたが、師ならでわの華麗でキレの良い舞台でした。


通小町 雨夜之伝 片山 幽雪(観世流) 2011年9月24日 (京都梅若追善別会)

幽雪・九郎右衛門、両師の親子共演でした。
憔悴しきった少将がさ迷う様は舞台である事を忘れさせられる程の迫力でした。
鳩寿を過ぎられて尚、この密度の高さ・・・
撮影させていだだける幸福に感謝です。


白頭」 片山 幽雪(観世流) 2000年9月2日 片山定期能 京都観世会館

片山家所蔵の「霏霏(ひひ)」という個性的な面をかけ階(きざはし)を下りる珍しい型でした。
正に「動」と「静」を絶妙に操られた舞台でした。
 [ 注記:「鵺白頭」演能時は当主名・片山九郎右衛門 です。]

 

想い出の名舞台

亀田 邦平

大原御幸」 近藤乾三(宝生流) 1969年5月14日 水道橋能楽堂

大原寂光院に住む建礼門院が庵室の庭を眺めている場面。

近藤 乾三<1890(明治23)年〜1988(昭和63)年> 宝生流の重鎮で1966年に人間国宝に指定される。長男が宝生流の近藤乾之助。


通小町」 高橋 進(宝生流) 1969年9月14日 宝生会月並能 水道橋能楽堂

小野小町に恋をした四位の少将が、百夜通ったがついに思いを果たせず、地獄で苦しんでいながらも通った日を数える場面。

高橋 進<1902(明治35)年〜1984(昭和59)年> 宝生流の重鎮で1978年に人間国宝に指定される。長男が宝生流の高橋 章。

 

今駒 清則

安達原 黒頭」 梅若 猶義(観世流) 1967年8月26日 新朝日ビルホ−ル

一宿の山伏に襲いかかる安達原(福島県安達太良山麓)の鬼女。
シテ・梅若猶義(1911〜1972)は観世流・初代梅若万三郎の五男。関西を中心に活躍。謡の美しさには定評があり、ステ−ジ能など進取の演出を積極的に手がけた。写真は当時では珍しい照明能、シテをスポット照明で追った演出。

 

前島 久男

葵上 梓之出・空之祈」 観世 元昭(観世流) 

1987年10月29日 音協能楽鑑賞会 観世能楽堂 

観世 元昭 1937(昭和12)年〜1993(平成5)年 観世流シテ方 二十四世観世 左近の次男。
流儀の要職を歴任し能楽界を牽引。芸風は豪放かつ堅実であった。


姨捨」 坂井 音次郎(観世流) 

1987年10月29日 観世会秋の別会 観世能楽堂 

坂井 音次郎 1903(明治36)年〜1982(昭和57)年 観世流シテ方 観世会に所属。
観世宗家一門の重鎮で芸風も堅実であった。長男に坂井音重。

 

吉越  研

吉越 立雄

三輪」 友枝 喜久夫(喜多流) 1977年2月17日 撮影:吉越 研

奈良、三輪山の神が奏する神楽。
身長150cm台と小柄な師であるが、いつも大きな芸風の舞台であった。


大原御幸」 観世 寿夫(観世流) 1970年5月8日 撮影:吉越 立雄

平家滅亡の時、安徳天皇を抱いて入水する様子を物語る建礼門院の姿。
亡父撮影のものです。[ プリント:吉越研 ]
装束の肩の線が非常に美しく、寿夫師ならではの姿である。白黒はやはり白黒印画紙で焼かないと調子が出ないことが判りました。時間が無く、インクジェットで作ったことに反省です。

 

渡辺 真也

金の星写真場

景清 松門之応答」 八世 観世 銕之丞(観世流)

1999年10月24日 京都観世能 京都観世会館 

師の京都での最後の舞台でした。
一曲を勤め上げるには、相当御辛い状況であったにも関わらず、迫真の演技でした。この時の舞台は今だ語り継がれております。

 

東京展

会期 2012年2月16日(木)〜2月22日(水)

開館時間 10:00〜18:00  (最終日は14:00閉館)

会場 ポートレートギャラリー  入場無料

〒160-0004 東京都新宿区四谷1丁目7番地
日本写真会館 5階
TEL:03-3351-3002
URL http://www.sha-bunkyo.or.jp/

JR四ツ谷駅 徒歩3分