
昨年に続き能楽写真家協会では会員による能楽写真展を開催いたします。
能楽のプロカメラマンが撮影した能楽写真を、記録として、また芸術の領域まで高めうるか、能楽写真家協会としての試みであり、さらにこの催しが能楽の普及、啓蒙に役立てばとの願いから、全国の能楽カメラマンが撮ったそれぞれの作品を出品します。
豊田展
能楽堂まつりと同時開催
会期 2008年11月22日(土)〜11月23日(日)
開館時間 10:00〜16:00
会場 豊田市能楽堂 入場無料
主催:能楽写真家協会
共催:豊田市能楽堂
- 能楽写真家協会主催写真展に -
能舞台の写真
能楽評論家 山崎有一郎
大正の初めから能楽堂へ通っていた私は、「能を観に行く」と言うよりは、父(楽堂)に付いて遊びに行く感覚だった。そこへ行けば必ず父の友人の子供達も来ていたので、久しぶりに友達に会えるのが、何よりも楽しみだった。後で成城小学校(現成城学園の前身)で一緒になった有島武郎の息子や、戸川秋骨先生のお嬢さん達も見えていたからだ。そうした仲間達と鏡之間に入ることができる、妙な特権(?)が子供心に誇らしげに感じていたのであろうか。
その鏡之間では、関係者以外絶対に観ることの出来ないことがあった−それは演者の写真撮影だ。そのころ、ライカのようなシャッタの早いカメラのない時代だから、演能中舞台写真など及びもつかぬことだ。従って演者の舞台写真に代わるものは、幕を出る直前に、鏡之間でポーズを取ってボワッとマグネシュームを焚くことだった。
誰も見ることの出来ない、その光景が見られる特権に、子供達は酔いしれていた。
しかもそのカメラは、三脚を立て、暗箱から一々種板を取り出す体のものだったので、その撮影風景も興味津々だった。だから仲のいい友達だけに耳打ちして、こっそり鏡之間に連れて行ったものだ。
それから十数年後の学生時代には、孤立していた梅若流の機関誌「梅若」の編集を手伝っていたので、自前のローライ機で下から煽るような、特殊な写真で誌上を飾って得意がっていたこともある。
素人の、全く予期しない能舞台の撮影結果が、ぢかに目で観る「能舞台」からの感覚とは別の<能芸術>が生まれているような感じがした。当時の客席は全て「座席」で<能>を観る目線は狭く制限されていたから、カメラのアングルの変化による特殊な映像は、当時の能観客にとっては、驚異的なモノであったであろう。
こうした常の観客席の位置からの目線とは別に、特殊なカメラ・アングルによる撮影の<能舞台写真>が、新しい芸術として生まれても不思議はあるまい。単なる記録写真ではなく、<写真芸術>として・・・。そこには、観客の生の目で見た<能>とは、一味も二た味も違ったものが生まれるのではなかろうか。
私は、<それ>を期待したい。
(横浜能楽堂館長)
石田 裕 | 「青野守」 粟谷明生(喜多流) 2006.3.5 粟谷能の会 久しく上演が絶えていたが、再考し上演された。鬼神の持つ野守の鏡は、天地四方八方を写し出す。後場のもつ緩急、強さ激しさに特徴がある。 |
太田 宏昭 | 「石橋 大獅子」 後シテ 白獅子 観世銕之丞 後ツレ 赤獅子 鵜沢光(観世流) 深山幽谷に掛かる石の橋、文殊菩薩の化身である獅子が紅白の牡丹に舞い戯れる。 |
亀田 邦平 | 「定家」 三川淳雄(宝生流) 2007.11.25 宝生会 秋の別会能 時雨の亭に雨宿りする僧の前に女が現れ、藤原定家の歌を詠み、式子内親王の石塔に導きます。女は定家との契りと、定家の執心が葛となって墓にまとわりつき苦しんでいるので救ってほしいと言い、内親王であることを明かし姿を消します。僧が供養をすると内親王が現れ感謝の舞いを舞い、墓に帰ると再び葛にまとわれ消えていきます。 「春日竜神 竜神揃」 今井泰男(宝生流) 2008.10.7 宝生流第二十代宗家継承披露能 明恵証人が唐に赴くのに春日明神に参詣すると、宮守の翁が現れてこの春日山こそが今や仏法の聖地であると入唐を止めます。そして翁は釈尊の一代記を見せようと姿を消します。やがて多数の眷族を連れた八大竜王が現れ、法会のさまを見せます。上人が思い直すと龍神は大蛇となって猿沢池に消えていきます。 |
神田 佳明 | 「三番三」 山本東次郎(大蔵流) 2008.1.6 喜多流職分会一月自主公演能 大蔵流は三番三と表記し、翁のなかで自ら掛け声をかけ、勇壮に、かつ躍動的に五穀豊穣を願って舞台を踏みます。 この写真は黒い面・黒式尉をかける前段の「揉ノ段」です。 |
久保 博義 | 「白是界」 金子匡一(喜多流) 2008.9.21 大島能楽堂定期公演 曲名に「白」の付く小書は喜多流では最も位が上がる。後シテは白一色の装束を着け年長けた神秘性を強調する。唐土の天狗の是界坊が日本に渡り仏法を妨げるが、比叡山の守護神山王権現や他の神々が協力して追い払う。 |
今駒 清則 | 「景清」 友枝喜久夫(喜多流) 1991.11.4 友枝会 <友枝喜久夫・能舞納め> 平家の敗北で自らを盲目にし、日向(宮崎)に流されて侘びしく暮らす平家の武将・悪七兵衛景清の行方を探して娘が訪ねてくる。初めは応じなかったが会えば親子の情が湧く。かって屋島で兜のしころを引きあった合戦の様子(写真)を見せ、我が亡き後の回向を娘に頼み今生の別れを告げる。つかの間に長い時間を押込めた悲劇の能。この友枝喜久夫の「能舞納め」では能面をつけず「直面(ひためん)」で演じた。 「景清」 友枝喜久夫(喜多流) 1991.11.4 友枝会 <友枝喜久夫・能舞納め> シテが幕に消えてゆく。拍手が続く。幕入りまで追ったファインダーが滲み霞んできた。目を病みよく見えない舞台も大きく舞い、わずかな動きで大きく空気が動く芸。私が理想とする名人の最後の能であった。終曲、舞納めになぜ「景清」を選んだのかが分ったような気がした。 |
杉浦 賢次 | 「野守 黒頭」 久田勘鴎(観世流) 2008.9.7 名古屋能楽堂九月定例公演(初秋能) 山伏が大和春日野に着き、老人に池の名を尋ねると、「野守の鏡」と語り由来を教え塚に姿を消す。山伏が祈ると夜半に、鬼神(後シテ、写真)が鏡を持って現れ、天界から地獄までを映して見せ、大地を踏み破り去って行く。 |
鈴木 薫 | 「関寺小町」 野村四郎(観世流) 2008.6.15 正門別会 近江の国関寺の住僧が稚児を連れて近くに住む老女を訪ねる。 |
高橋 健 | 「清経」 浅見真高(観世流) 2002.10.25 代々木果迢会 「西に傾く月を見れば・・・」 「野宮」 小早川 修(観世流) 2006.10.27 代々木果迢会 「露うち拂い、訪はれし我もその人も」 |
辻井 清一郎 | 「野宮」 辻井八郎(金春流) 2008.7.20 座・SQUARE 第11回公演 「野宮」は源氏物語を典拠とした本三番目物の名曲で、主人公は六条御息所です。写真は曲の終盤の「鳥居にいで入る姿も生死の道を」の場面で、あの世とこの世の境界を彷徨い、妄執の晴れやらぬ様を表しています。 「井筒」 金春安明(金春流) 2005.10.8 第47回鎌倉薪能 鎌倉宮(大塔宮) 鎌倉薪能は毎年10月に鎌倉市観光協会の主催で開催され、古都鎌倉の秋の風物詩となっています。昭和34年に第1回が行われ、今年は50周年にあたりました。 |
前島 吉裕 | 「石橋 大獅子」 観世清和(二十六世観世宗家) 2007.3.18 花影会 中国に渡った寂昭法師は清涼山に着き、石橋を渡ろうとする。やがてその前に文殊菩薩に仕える獅子が現れ、牡丹の花に舞い戯れる。そのダイナミックな動きと激しい気迫は圧巻。 |
名鏡 勝朗 | 「定家」 宝生英雄(宝生流18代宗家) 1969.10.26 宝生会 秋の別会能 旅僧が時雨の亭で雨宿りをしていると、里の女が現れ、式子内 親王の墓に誘う。墓には、定家の恋の執心が蔦葛となって纏わりついていた。僧の読誦により墓から姿を現す式子内親王。妄執に苦しむ様を示す。 「大原御幸」 今井泰男(宝生流) 2006.5.28 宝生会 春の別会 京都・大原寂光院で、平家一門の菩提を弔いながら、ひっそり と余生を送っていた建礼門院を、後白河法皇が訪れ、感無量の再会を果たす。時を忘れて語り合った後、還幸される法皇を見送る建礼門院。 |
吉越 研 | 「西行桜」 観世銕之亟(観世流) 1994.1.15 銕仙会 桜の精が西行に語りかける 「定家」 前シテ 観世銕之亟(観世流) 1996.10.11 銕仙会 定家葛のまとわりついた墓へ吸い込まれるように消える女 |